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平姓発祥の謎

 四姓最古の「藤原姓」は、天智天皇八年(669)中臣鎌足が大化改新の功により内大臣となり、居宅の大和国高市郡藤原に因んで藤原姓を賜ることに始まる。
 「橘姓」は、和銅元年(708)県犬養三千代が持統女帝以来の功労により元明天皇より橘姓を賜り、美奴王に嫁して生んだ子葛城王が臣籍降下して生母の姓を名乗り橘諸兄と改名するに始まる。
 「源姓」は、北魏の源賀の前例に倣い嵯峨天皇が三十二人の皇子皇女に弘仁五年(814)源姓を賜ったのを嚆矢として、以降二十流以上の源姓が興り中でも清和源氏が最も繁衍する。
 「平姓」は、天長二年(825)高棟王が平姓を賜るに始まる(弘仁二年(810)賜姓説もあり)が、由来は祖父桓武天皇の平安京創開者に因み平の訓読みタイラを名付けたのではないかと推測されるが根拠薄弱である。
 また南北朝時代に成立した平家勘文録によれば、寛平元年(889)に高望王が民部卿宗章の謀反を平定したので朝敵をたいらぐの意で平姓を賜姓したとの説があるが、遙か前に平姓賜姓の事実があるのと高望王が坂東に到来したのは寛平2年(890)なので大きく矛盾する。
 坂東に平氏が栄えたのは、天長三年(826)清原夏野の奏言により上総・常陸・上野が親王任国と制定され、桓武天皇の皇子仲野親王が上総、加陽親王が常陸、葛井親王が上野の守に任じられたことによる。
 親王は遙任(在京)で、政務は介以下が行い平姓のものが赴任する事が恒常化して平氏が実権を握る。
 平氏の氏神は平野神社であるが、祭神は今木・久度・古開・比唐フ四神を奉斎する。
 桓武天皇の母が百済家帰化族の高野新笠であることから、今木神は百済聖明王、久度神は百済仇首王、古開神は百済沸流王・肖古王、比盗_が高野新笠と百済系の濃い神社となっている。
 久度神も古開神も大和国平群郡鎮座の式内社久度神社の神霊として祀られている。
 平群郡は大和以外に安房にも存在して、安房の平群系図は桓武平氏良文裔とするが、平群永盛の外祖父平貞盛の平姓を称したのだが安房平群氏は大和平群氏の後裔であり、平群氏と平氏の同族性を示唆する。
 公卿補任の姓表記は天平神護三年(765)から徐々に一字表記となり、貞観十年(868)から完全に一字表記に移行する。平高棟の初出は承和十年(843)で、まだ文室氏や百済氏など二字姓表記の公卿も存在している。
 本来は平氏も平群氏(もしくは平野氏)と名乗るところを唐風一字姓化の流れに沿ったのだろう。
 平野神社の祭神は別解釈では、今木神が源氏、久度神は平氏、古開神は高階氏、比盗_が大江氏の氏神とするなど皇別系のみでなく天孫系も含むところから馬韓系(百済)祖先神統合の象徴神社と言えよう。
 参考:仮説「神代紀概要」 仮説「天孫降臨は四世紀の民族大移動」 主要氏族派生図


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