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神代とは「古事記」の伊邪那岐尊迄の神世七代と天照大日霊尊(天照大神)から鵜草葺不合尊 迄の五代を合わせた十二代である。
撰録者太安万侶は、奈良期の音韻表字法則(甲乙二類)も摘要不可の迷彩工作と音韻融通法を縦横に駆使した神話的表現方式により、古今の解読者を半島と列島の諸国家抗争史から目をそらさせ神話世界に埋没させている。
神代以前も複数の小国家群が存在したが、無文字社会の為に考古学的事物や地名にのみ痕跡は残存する。
記紀は紀年延長と系譜変造を行った為、中国史書との整合性が取れないので紀年再構成が焦点となる。
キーポイントとなる年は、日食(247年・248年)、百済建国(346年)、前燕帝国成立(352年)、新羅建国(356年)、神武即位(361年)、任那建国(369年)、百済辰斯王即位(385年)で、史実との連立方程式から解が得られる。
偶然かも知れないが、天照大神と卑弥呼、素戔鳥尊と卑弥弓呼が年代的に合致するのである。
しかし魏志倭人伝の卑弥呼に日食を暗示する記述が見当たらないことは謎である。
また崇神紀では神託の形を取り大田田根子命が天日方奇日方命の子であることを暗示している。
即ち崇神天皇は神日本磐余彦尊(神武天皇)の子であることをほのめかしており、闕史八代天皇は「古事記」編纂時に追贈の形で実在人物を八代挿入したのが真相であり、加えて弁韓王御間城入彦尊(崇神天皇)が敗北して任那建国を承認して列島へ退去した事実を和風諡号が暗示している。
紀年再構成を行えば、高天原は決して神話上の天上界ではなく、1世紀頃から朝鮮半島南半の三韓(馬韓・弁韓・辰韓)連合帝国の皇帝天御中主尊(馬韓王)に始まる王家が君臨する帝国なのである。
三韓統一後は列島の山陰から北陸までの葦原中津国の建国植民地化により天御中主尊の諡号が贈られる。
二代豊国主命は穴門豊浦に上陸し、九州北半部を併せて豊国を建国植民地化により同様に諡号が贈られる。
以降、豊国は次第に九州全域、壱岐、対馬を併合して葦原中津国と拮抗する大勢力に発展する。
七代の豊国王伊邪那岐尊と葦原中津国王伊邪那美尊は連合して豊葦原国を形成して、四国全域も版図とする。
伊邪那美尊没後に帝国は分裂して、やがて豊国系天照大神と葦原系素戔鳥尊の抗争時代に突入する。
素戔鳥尊に敗北後は豊葦原国を譲渡するが、程なく没して豊葦原国は宗主国の支配に抵抗する存在となる。
宗主国の馬韓国(高天原)は天照大神の孫瓊瓊杵尊を南九州の笠沙岬に上陸させて韓国岳を経て高千穂峰より降臨して豊葦原国の支配の弱い日向に奪回の橋頭堡を築くのである。
敵対する豊葦原国の他にも近畿を本拠とする大倭連合王国や東北・北海道地域の磐見国(蝦夷国)が存在する。
瓊瓊杵尊の曾孫神日本磐余彦尊の代になり、東征して豊葦原国・大倭連合王国を破り統一新国家を建国する。
皇兄御毛沼命は前燕へ派遣、稲氷命は新羅王となったことが「古事記」からうかがえる。
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