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日本書紀の崇神紀によれば、崇神天皇10年9月に諸国平定教化のために北陸・東海・西道・丹波に4人の将軍を派遣したとあるが、現代の歴史学者は後世の創作物語との妄説を流布させている。
日本書紀は同時代に実在した天皇系譜の人物を縦に並べて紀年延長を行ったから、従来の神武天皇−開化天皇間の直系相続系譜では吉備津彦命ら四将軍の世代差が四世代と四道将軍派遣が非現実的になるのである。
この事実を看破して神八井耳命から開化天皇まで改変前の系譜を推測して復元すると二世代に収まり、畿内を平定した神武天皇の次世代(崇神天皇)が四道将軍を派遣する流れが極めて現実的に認識されるのである。
孝霊天皇皇子と崇神天皇四世孫に同名の彦狭島命が存在するが、おそらくのちに八綱田命の養子になったものと推測され孝霊天皇と崇神天皇が同時代の人物であることをうかがわせる。
また二代綏靖天皇、三代安寧天皇、四代懿徳天皇の三代がいずれも事代主命系の母を持ち、崇神紀では神託の形を取り大田田根子命が天日方奇日方命の子であることを暗示している。
景行天皇−仁徳天皇間も紀年引き延ばしのために日本武尊や仲哀天皇を直系に組み込み、景行天皇−仁徳天皇の6代に仕えた武内宿禰は330歳という長寿に改竄している。
世代的に無理のある従来系譜の先入観を取り払えば、改変前の系譜の実態はは下記系譜のようになる。
大国主命の国譲神話は史実であり政略的な婚姻を通じて大国主命の子孫にはいくつかの国造の地位を与えて、諸豪族の推戴する緩やかな連合政権を樹立する我が国の政治風土が上古より続いていることがうかがわれる。
従って崇神天皇以降の天皇系譜も後世の幾たびかの政変時の系譜改変が推測され、実在したが皇位追贈の天皇も少なからず存在したものと思われる。
持統天皇五年(691)に大和中央政権に栄えた有力十八氏の纂記を提出させたとあるが、その後これらの上古時代の氏族系譜の多くが見あたらないことが証拠隠滅の状況証拠と考えられる。
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